株式会社エイチ・アイ・エス(以下「HIS」という)の子会社である株式会社ナンバーワントラベル渋谷「以下「ナンバーワン」という」が2024年2月頃、東京労働局から雇用調整助成金受給の調査可能性を知り、同年11月には虚偽タイムカードによる不正受給が発覚しました。
また、HISでも同年4月に内部告発を受け、勤務実態がある日を特別休業日として申請していた疑義が生じました。
初期調査で約5,600万円の返還を申し出ましたが、東京労働局からデータ精査の必要性を指摘され、再調査の結果、想定より多額の返還が必要と判明しました。
これを受けてHISは2024年12月、グループ全体の雇用調整助成金の受給実態解明のため、特別調査委員会が設置されました。
この記事では、HISが公表した特別調査委員会の調査報告書に記載されている不正の内容、発生原因に焦点を当てて要約しています。
※詳細は株式会社エイチ・アイ・エス特別調査委員会「調査報告書」(PDF)をご確認ください。
会社概要
HISの概要
- 資本金:1億円(2024年4月30日現在)
- 従業員数:3984人(2023年10月31日現在)
- 事業内容:旅行事業、テーマパーク事業、ホテル事業、地方創生事業、保険事業、飲食事業、教育事業、公共交通事業、商社事業、通信サービス事業他
- 子会社数:子会社170社及び関連会社16社
コーポレートガバナンス体制
- 監査等委員会は2名の社外取締役を含む3名の監査等委員で構成され、月1回定例会を開催
- 取締役会は社外取締役4名を含む取締役11名で構成され、毎月1回開催
- 諮問委員会として人事・指名委員会、報酬委員会、投資委員会、資金調達・運用委員会を設置
- リスク・コンプライアンス委員会を設置し、事務局としてリスク管理室を設置
ナンバーワンの概要
- 資本金:1,000万円(2024年12月現在)
- 従業員数:8名(2024年10月時点)
- 事業内容:旅行業法に基づく旅行事業 他
- 役員構成:代表取締役1名、取締役2名(常勤1名、非常勤1名)、監査役(非常勤)1名(2024年10月時点)
雇用調整助成金制度等の概要
雇用調整助成金(以下「雇調金」という)は、雇用保険法に基づき、雇用調整を行う事業主に支払われる制度です。
「休業」については、労使間協定により所定労働日の全一日にわたって実施される場合(またはコロナ特例による短時間休業)が対象となります。2020年4月から2023年3月までは特例措置があり、支給要件が緩和されていました。
「不正受給」は、事業主が偽りや不正行為により受給することで、故意に支給申請書に虚偽記載や偽証を行えば該当します。支給された助成金全額とその2割相当額の返還が求められます。
なお、役員や従業員が偽りの行為をした場合も、事業主の不正行為とみなされます。一方、要件に適合しない助成金受給は「不適正受給」として、超過支払額または全額の返還が求められます。
認定した事実関係
調査結果の概要
雇調金等の不正受給があり、役員による指示(経営者不正)が認められた会社(2社):
株式会社ナンバーワントラベル渋谷(以下、ナンバーワン)、株式会社クルーズプラネット
雇調金等の不正受給があったが、役員による指示があったとまでは認められなかった会社(1社):
株式会社欧州エキスプレス
雇調金等の不適正受給があったと認められた会社(15社):
HIS、株式会社ツアー・ウェーブほか13社
HISにおける雇調金等の不適正受給
HISではメール等の分析の結果、特別休業日(雇調金等の申請対象となる休業日)に何らかの業務を行っていたにもかかわらず、勤怠記録に記録しなかったと推定される日が多数あったことが確認されました。この事象はHISの特定部門に限らず、全社的に発生していました。
雇調金等の申請責任者は、勤務実態と勤怠記録が一致しないことを認識せずに申請していたため、不適正受給が生じていました。HISの役員・従業員が申請責任者に対して勤務実態と異なる申請を指示したり、特別休業日の業務記録を妨げるような事実は確認されませんでした。
HISは2024年12月27日、東京労働局に対し、受給した雇調金等のうち約62億円について不適正受給であったことを認め、2025年1月22日に雇用調整助成金支給決定取消及び返還通知書を受領しました。
ナンバーワンにおける雇調金の不正受給
ナンバーワンでは、代表取締役社長、取締役及び営業部門の管理職の3名が、2020年6月から2022年12月15日までの間、雇調金申請のため、従業員が実際に勤務した日よりも少ない勤務日数を記録した「申請用タイムカード」を作成し、総額約1億円を不正に受給しました。
経理担当者は実際の勤務日よりも少ない勤務日を記した申請用タイムカードに基づく受給が不正であることを認識していました。HISからの派遣役員がナンバーワン側に不正受給を指示した事実は確認されず、ナンバーワンの3名で雇調金を過大に受給することを決めたとされています。
ナンバーワンは2025年1月24日、東京労働局から受給額全額に違約金及び延滞金を加算した額の納付を求められ、同年1月31日に全額納付しました。
クルーズプラネットにおける雇調金等の不正受給
クルーズプラネットでは、社長が各事業所の稼働人数を月ごとにトップダウンで定め、特別休業日であることを認識しながら従業員に業務対応を指示していました。
さらに、取締役は2021年5月、雇調金の申請担当者に対し「目的は助成金狙い」として勤怠記録上の出勤日を実際よりも減らすよう指示し、その旨を社長にも共有していました。
社長による強力なトップダウン体制、労働法規の軽視・不適切な労務管理などの問題点が確認され、経営者不正による不正受給があったと認定されました。
欧州エキスプレスにおける雇調金等の不正受給
欧州エキスプレスでは、少なくとも2020年9月以降、特別休業日中の勤務時間を積算して7.45時間になれば特別休業日を出勤日に変更し、それに満たない場合は短時間の業務を出勤としてカウントしないという独自の運用が行われていました。
この運用は申請担当者が所轄の労働局やHIS等に確認することなく自己判断で行ったもので、社長もその運用を認識していたものの疑問を持っていませんでした。
申請担当者には過大な雇調金受給の故意があったと認められ、また取締役も特別休業日に業務を行った事実を申請担当者に伝えていなかったことから、不正受給と認定されました。
ただし、社長を含む取締役等の役員から不正受給の指示があったわけではないため、雇調金の不正受給にとどまり、経営者不正があったとはいえないと判断されました。
その他のHISグループ子会社における雇調金等の不適正受給
特別休業日中に勤怠記録に就労記録をせずに就労した従業員は複数存在するものの、上長から特別休業日中に就労するよう明示的に指示を受けたものではなく、また勤怠記録に就労記録をしなかったのも自己判断によるものであり、上長からの指示を裏付ける事実は見当たりませんでした。
したがって、これらの子会社での受給は不正受給ではなく、不適正受給にとどまると認められました。なお、不適正受給の規模は会社によって様々で、全申請のうち数%程度のケースから、半数近くが不適正受給だったと推測される会社まで様々でした。
原因分析
雇調金等の受給期間におけるHIS及びHISグループ子会社を取り巻く環境
コロナ禍により観光業や旅行業を営む会社の業績は大きく悪化し、各社の財務状況は厳しい状況にありました。外出制限がいつまで継続するのか、また外出自粛ムードがいつまで続くのかなど見通しが立たない中、雇調金等の受給は各社にとって財務上重要な役割を果たしていました。
また、グループ内の雇用確保のための対応が人事部門の業務負担を増加させる一方、人事部門の従業員が退職するケースも少なくなかったため、勤怠記録の正確性まで十分な管理が行き届かない状況となっていました。
Go To事案における再発防止策との関係
HISはGo To事案(2021年12月に公表した子会社におけるGo Toトラベル事業に係る給付金の支給要件を充足しない受給事案)の再発防止策として6項目の改善措置を講じていましたが、本件事案の発見には至りませんでした。その理由として主に以下の点が挙げられます。
- 本件事案はGo To事案の再発防止策が講じられる前または直後に発生したため、効果が十分に期待できなかった
- Go To事案の再発防止策は労務・人事管理に直接起因する問題への対策ではなかった
- 雇調金等の受給に対する管理強化施策が不十分だった
- 内部監査の監査方法が勤怠記録の改ざんを想定したものではなかった
HISにおける問題点
雇調金等の不適正受給の問題
雇調金等の不適正受給については、4つの主要な問題がありました。
第一に労働法規に対する理解不足と不十分な労務管理があり、「緊急対応」や「短時間の対応」は業務ではないという誤った認識に基づいて勤怠管理が行われていました。
第二に雇調金等の受給ルールに対する理解が不足しており、時間単位での申請に切り替えずに営業日単位での申請を継続したため、申請内容と実態に乖離が生じました。
第三に内部監査体制に不備があり、勤怠記録の実態との整合性確認が行われていませんでした。
第四に従業員による内部通報制度が活用されず、雇調金等の不適正受給に関する通報は内部通報窓口ではなく監査法人へ行われました。
グループガバナンスの問題
グループガバナンスの問題点としては、全社的なリスク評価・対応が不十分で、雇調金等申請の勤怠記録改ざんリスクを認識できませんでした。
親会社によるグループガバナンスも脆弱で、子会社の取締役・監査役が複数社を兼務し監督機能が低下していました。また、子会社のマネジメント層が固定化され閉鎖的な環境が生まれる一方、親子会社間のコミュニケーションも不足していました。
内部監査体制の不備もあり、子会社への実効的な監査ができていませんでした。
さらに、子会社に対する情報提供・指導・モニタリングが不足し、各子会社の勤怠管理や助成金申請に関する適切な管理が行われていませんでした。
HISグループ子会社における問題点
HISグループ子会社における問題点は、共通する問題と各社固有の問題に分けられます。
子会社に共通する問題
共通する問題点としては、まず労働法規および雇調金等の制度理解不足があり、多くの従業員が短時間のメール・電話対応を業務と認識せず、勤怠記録をしていませんでした。
また、特に旅行業を営む子会社では、顧客サポートへの責任感から休日でも即時対応する企業文化が根付いており、特別休業日と通常休業日の区別なく顧客対応を行っていました。
HISからの十分な管理やサポートがなかったことも不正発生の一因と考えられます。
各社における問題
ナンバーワン:
ナンバーワンでは、コロナ禍での売上減少にもかかわらず親会社からの独立性維持のため借入れを避け、代表取締役らが不正受給を決定しました。閉鎖的な環境で上層部3名が経営を掌握し、他従業員が意見しづらい状況でした。
また、監督体制も脆弱で、非常勤取締役の退任手続が適切に行われず、監査役も年1回しか経営陣と対面せず、内部監査も証憑の改ざんを想定していませんでした。
クルーズプラネット:
クルーズプラネットでは、クルーズ船のコロナ集団感染の影響で特に売上が減少し、強力なトップダウン体制の下、社長が各事業所の稼働人数を一方的に決定し、現場の改善要望を受け入れない状況でした。
また、労働法規の軽視と不適切な労務管理が行われ、サービス残業が横行し特別休業日中の業務が黙認されていました。
欧州エキスプレス:
欧州エキスプレスでは、労働法規の理解不足に加え、申請担当者が独自の運用ルールを作り、総務・人事業務担当者への十分な指導・監督も欠如していました。